2010年8月13日金曜日

第24回「多摩川な人々」に触れて


著者:キッチンミノル
出版社:mille books
価格:1995円
初版:2010年7月7日
サイズ:A4判

東京に住んでいる頃、江戸川のほとりに住んでいた。夏の河川敷
で陽に照り返す川を見て、犬を散歩させている光景を見て、ジョギ
ングする夫婦を見て、少年野球に興じる坊主頭を眺めた。草の匂
いは夕方になればなるほど香り高くなり、並立する電柱の明かりが
点灯し始めると、不安な気持ちと安らかな気持ちが混在し始めた。

そこに住む人々にとって川は自分の庭のようで、皆、気持ちを投げ
出しにきた。家の中でも町の中でも気分転換できないような気分を
川に浸しにくる。動物たちも人間との接点を求めるかのように川の
水気を浴びにきた。この写真集にも川が持っている気さくな佇まい
に吸い寄せられてやってきた人々が皆、起立をして写っている。

小学生、中学生、学生カップル、消防士、ギター青年、外国人の子
供、おじいさん、おじさん、親子、気の合う仲間、外国人、職場仲間、
カップル、ヤンキー、釣り仲間、兄弟、親友同士、犬の散歩の人・・。
それぞれの関係性やその人の川時間の愛情度がその撮影場所に
起立して立つことによってなぜか明確に写る。仲良さそうだなとか、
一人の時間を大切にしてるんだなとか後ろの物語が夕映えに写る。

起立は小学校などで嫌ほどさせられる行為だが、その我が身を引き
締める、どこか抑圧的な思い出も連れてくるその行為をする時、その
人自身の社会への忠誠心や反抗心、対人関係への信頼度みたいな
ものが起立の仕方によって微妙に癖として見え隠れするような気がする。

この写真シリーズは、撮影者キッチンミノルさんが河川敷で撮影作
業をしていたところにたまたま居合わせた男子高校生の集団に魅
せられて、その場で撮影をお願いしたことから始まったそうである。

川の<気さくさ>を顕著に表すエピソードだと思いませんか。

2010年6月5日土曜日

第23回「ちんちくりん」に触れて

著者:友部正人
出版社:ビレッジプレス
価格:1470円
初版:2001年5月15日
サイズ:B6判

先日、友部正人さんご夫妻に叱られる夢を見た。友部さんとしばらく
お会いしていなかった日が3~4年あって、その間、友部さんの夢を
何回か見た。思えば、初期のガケ書房のまだ機材もロクになかった
時代にライブしていただいたことは大きい出来事だった。高校生の
頃から聞いていた人にお願いして、その人が目の前にいて、自分の
店で歌いはじめる。初めてお話したとき、友部さんは緊張する僕の
おぼつかない話を静かに聞いてくれて「行ってみたい」と言ってくだ
さった。それは大きな一言だった。そこでガケ書房の一つの方向性
が定まったといっても過言ではない。なぜかそれから有名な方と接
しても緊張することがなくなった。友部さんが魔法を解いてくれたと
思っている。

久しぶりに友部さんご夫妻にあった時、夢の話をしたら優しい笑い
声でおちょくってくれた。奥さんのユミさんは、あけっぴろげな方で
最初に電話でお話させていただいた時、電話口の隣に友部さんが
いたにも関わらず、ご自身の家庭の内情を僕に話した。僕も負けじ
と内情を話した。そして、ユミさんのナイーブな心の先にあるあけっ
ぴろげに気づいた。

友部さんの文章は、詩的な比喩と日常の固有名詞が絶妙に混在し
ていて、外国文学の匂いがする。サリンジャーやジム・キャロル、ア
ラン・シリトーを読んでいるかのような感覚を覚える。「ちんちくりん」
は22歳から27歳までのエッセイ集で、今の静かな旅人然とした友部
さんしか知らない人は読まなければならない本だと思う。谷川俊太郎
との対談で投げやり気味にどこにも属さないような事ばかり言う友部さ
んの発言を僕はニヤニヤしたり、真顔になったりしながら読んだ。その
時の友部さんは自分のことを「俺」と言っていて、道路に石で落書きし
たり、卵にコショーを突っ込んだものをテレビの野外ショーに投げつけ
たり、暴走族とはしゃぎまわったり、交番に火をつけたりして最終的に
は鑑別所に入れられた過去を告白している。そして、自分以外のすべ
てのものに対抗できるようなおかしな声の発声法を発明したいと話す。

この本になる原稿をあちこち寄稿している最中に友部さんはニューヨー
クで少し暮らしている。現在も友部さんはニューヨークで暮らしたりする
が、当時と今とでは、ボロ雑巾のようなヒッチハイカーと温かい部屋があ
るニューヨークの住人という違いがある。友部さんがそこに至るのには
10数年の歳月があり、それは<暮らし>を手に入れたということだろう。
この本になる原稿をあちこち寄稿している最中に友部さんはユミさんと
出逢っている。

先日、友部さんは60歳になった。

2010年4月30日金曜日

第22回「春の犠牲」に触れて


著者:木島始
出版社:未来社
価格:350円
初版:1963年6月10日
サイズ:上製函入り本

神保町で有無を言わさず、ジャケ買いしてしまった。濃い灰色がかった黒の
函に白字のストイックなタイトル。その下に蛙が伸びる。本を抜き出すと、表
1は網状の脳模様が展開され、表4は黒味がかったローズ色。ページを開く
と、そこには四方に飛ぶ蛙の飛行擬態写真があしらってあった。梶山俊夫
装丁。電子書籍では絶対味わえない美術作品のような臨場感を手中に収め
た感動がある。即買いした理由はもうひとつあった。物語が展開する場所は
現在ガケ書房がある京都市左京区の北白川。1943年の北白川一帯の少
年たちの話である。
                                             
軍国教育真っ只中の時代にも少年たちの興味は、喫煙、SEX、そして、学
校で習わない文化。ロック的なものとでもいおうか。この時代にそこにあて
はまるのは文学。作中、キーワードとして登場するのはモーパッサンの「生
の誘惑」だ。裕福な家に生まれた石原礼一。不良学生の権化のような大木
孝之。小隊長という役職をもてあます利谷次郎。鶴岡という信頼する先生か
ら文学を教わった徳島菊夫。この4人が軍国社会に敷かれた包囲網に翻弄
されていく姿が描かれている。皆、15、16歳。今の中学生と興味のベクトル
こそ同じだが、逃げ場のない状況は哀しいドラマを連れてくる。
                                             
毎日行われる軍事訓練。ある日の抜き打ち持物検査が彼らの運命を大きく
曲げる。その時石原礼一は、徳島菊夫から借りた「生の誘惑」を鞄に入れて
いた。タバコと本が見つかり石原は停学処分に。同じ日、大木孝之は学校を
休んでいたにも関わらず停学が発表された。原因は、ある少女との淫らな噂
だった。しかしその少年と少女は愛ということも自覚していない<興味>と
<好意>から一歩も進まない関係だけで大人たちに誤解された挙句の処分
だった。大木は無期停学だった。
                                             
仮に現在、学校に行かなくなった学生は、どういう進路に進むか。おおよそフ
リーターかニート。意欲があれば夜間学校かもしれない。1943年の彼らは
少年航空兵の願書を出したのだった。つまり15歳の春に飛行機で戦場に飛
ぶという選択である。遅れて、石原礼一に本を貸した徳島菊夫も、本を貸し
たのは自分だと名乗り出て停学をくらっていた。しかし彼は斜視だった為、
航空兵の願書を出せなかった。大木と噂になってしまった少女は、世間から
いわれなき非難の目を浴びることとなってしまう。当時の社会的偏重を表す
ような本文を以下に抜粋します。
                                             
仮にまったくとりえのない不良少年があったとしても、もしその不良少年が国
家が犠牲になってほしいと要求しているものに進んでなるといったならば、た
ちまちにして英雄となり模範とされるであろう。 ~中略~ 大木が不良少年
から小英雄にとまつりあげられ、公認の美辞麗句につつまれて昇天すべき
勢であったのに、かれの遊び友だちのチカのほうはといえば、泥沼のなかに
とりのこされてしまったのだ。 ~中略~ チカは航空兵の遊び相手の女郎
よりもだれよりも認められない存在。まるで小英雄を堕落させかけていた魔
女のような存在となってしまった。  (以上、本文より抜粋)
                                             
その後、少女は自殺未遂を起こす。徳島菊夫は家出を敢行した。
                                             
入隊への出発の日、駅のホームには石原、大木らを見送る利谷次郎の姿
があった。興奮した見送り団の少年たちは、最初こそ校歌や応援歌を歌っ
ていたがいつのまにか猥褻な替え歌を大合唱しはじめた。そして中には全
裸で逆立ちしながら唄い始める者達もいた。そこには、タバコもSEXも文学
も最後のこの別れの時に開放して共有しあおうという止められぬ若い跳躍
が居合わせた先生や保護者をも黙らせた時間があった。
                                             
その最後の章のタイトルは、「雛の踊り」であった。

2010年3月30日火曜日

第21回「熊にみえて熊じゃない」に触れて

著者:いしいしんじ
出版社:マガジンハウス
価格:1680円
初版:2010年3月15日
サイズ:ハードカバー

いしいしんじさんがガケ書房にやってきたのは僕が無防備な時で、
「いしいです」といった長髪のその人といしいしんじの文庫の後ろに
載っている著者近影の短髪のその人と実は繋がっていなかったの
だが、店内のいしいしんじ本全てにサインをしていただいた。

その後、いしいさんとは床屋に行くようなペースでお会いするように
なり、そのニュートラルな姿勢と地球をそのまま歩くようなフットワー
クはただただ羨望であった。いしいさんは物事の符号をコレクション
するかのように楽しんでおられる人で、この本の中でもちらほらと符
号する出来事が記されている。タイトルの「熊にみえて熊じゃない」
も、いしいさんが熊の登場する小説を書いていたら、何も知らずに
熊の着ぐるみをもらってきた奥さんがいしいさんを驚かそうと熊になっ
て家に帰ってきてしまったという符号を引き起こしている。いしいさん
は、そういう符号の出来事に縁という言葉を用い、人間の判断を超
えたそういうものに触れたとき、いま本当に自分は人間をやっている
と信じることができるのだと書いている。大富豪ならぬ大符号である。

「七人目のディラン」という章があって、それはいしいさんの弟・タカノリ
さんのことについて書かれた話なのだが、僕はその話をご本人である
タカノリさんのいる前でいしいさんから聞いていた。その時は、いしいさ
んのお兄さんも同席していたのだが、僕はいしい3兄弟が相対するとき
に自然作用として起こる立ち位置が非常におかしかった。お兄さん2人
の妄想と冗談と愛情溢れる話を末弟のタカノリさんがニコニコしながら
聞き(流して)いる。子どもの頃のエピソードでもやはりタカノリさんはお
兄さんたちにもて遊ばれる立ち位置で、そういうグルーヴで3兄弟は今
も繋がっているように思えた。お笑いでいう<ノリツッコミ>というものは
成立せず<ノリ+ノリ>である。3人の中にツッコミは一人もおらず、兄
達の突拍子もない創作めいた掛け合いに弟がボソッと調味料をふりか
け、さらに拍車がかかるという構図はちょっとしたワンダーランドであった。

そういうグルーヴの中で育ってきたいしいさんの片鱗が「ごめんなトミー」
という章で体験できる。このエピソードは、トミーという生き物(人間かどう
か各自読んでご判断ください)の存在をそこにいる誰もが暗に認めていて
姿の見えぬトミーがいわば皆のご意見番的な存在になっている話である。
もちろん実話だろう。いしいさんがかつて働いていた職場で作用したノリ
のエピソードだ。

実はいしい家は4兄弟だという話をいしい3兄弟が口を揃えて僕に言う。
その夜、僕はいしいグルーヴに一瞬だけノレたような気がした。

2010年2月27日土曜日

第20回「子ども詩人たち」に触れて

著者:足立巻一
出版社:理論社
価格:1200円
初版:1972年
サイズ:ハードカバー

今回は、僕のことばより作品を紹介するほうが雄弁だろう。
かつて「きりん」という子どもの詩・作文を中心とした雑誌があった
らしい。これから紹介する作品は「きりん」に発表されたものである。
この本はそれらを拾い上げて、エピソードを盛り込んだ大切な1冊。
なかでも美しい強さを印象付けられた詩をいくつか掲載します。

「停電」 堺市出島小学校5年 鞆 房子 (昭和27年)

停電の夜 
あんな ところに 
トタンのあな 
星のようだ


「牛日記」 岸和田市山滝小学校4年 沢 正彦 (昭和30年代)

きのう、そうじをすると、くそばっかしで、すくられませんでしたので、
いたでとりました。あれですくったら、おちるさかい、手ですくってと
りました。くそをつかんだ手をあらうと、たいへんうつくしくなります。
      *               *
牛がびょうきになった。かずまさくんとこの牛より、まだえらいびょう
きになった。ぼくが牛ごやにはいって、牛の足をわらでこすっちゃっ
たら、なみだが心の中でないています。


「かあちゃん」 豊中市 野口明生(4歳)

かあちゃん
かあちゃん女やのに
ぼく男やのに
かあちゃんがぼくをうんだんか
おもしろいな


「おみず」 (3歳4ヶ月)  ※口述

ママ おみずいうたら
どいだけ(どれだけ) ちいさいの
こうしたとき(ストローかんで)
ぺっちゃんこになるの


「目がもっとよく見えたら」 大阪市立盲学校小学部2年 水谷江美子

わたしは、カラーテレビが見たい。
すみ字の本が見たい。
汽車が見たい。京阪電車が見たい。
ちかてつが見たい。電車が見たい。
ポストが見たい。ろうそくが見たい。
阪東くんのかおが見たい。
北岡くんのかおが見たい。
木村さんのかおが見たい。
ねえちゃんのかおが見たい。
みかんが見たい。バナナが見たい。
りんごが見たい。かきが見たい。
カレーが見たい。サラダが見たい。
はがきが見たい。てがみを見たい。
オルガンが見たい。花が見たい。
川が見たい。橋が見たい。
わたしは、土よう日に
しょうわちょうのびょういんへ
いっています。


「星」 岐阜県立盲学校4年 仲井秋夫

星はキラキラ光っているとみんながいう
ぼくは星を知らない
でも、なんだか、
ねこのなき声みたいな気がする

2010年1月30日土曜日

第19回「文芸誌<海>精選対談集」に触れて


著者:大岡玲・編
出版社:中央公論新社
価格:1500円
初版:2006年10月25日
サイズ:文庫

ある友人が「対談集ってのは他人の悪口ばかりだから読まない」と言って
いた。

確かにそうだ。欠席裁判が延々と続く対談集はこの世に多く存在する。し
かし僕は対談集が売っていると優先的に手にとってしまう。発言録は文字
に起こす段階でいくらでも都合よく編集できてしまうが、その日の対談のノ
リというのはしっかりと残る。僕はそれを楽しみたい。人と話すときに無意
識に発生するその場の対話モードを読み込みたい。箸休めの発言の中に
その人の素を発見したり、対談者同士の関係性を彼らの会話の方向性か
ら推理して楽しみたい。

例えば、冒頭の志賀直哉と里見弴は明治の青春について語っているが、
終始リラックスした会話が続く。若かりし日の思い出話を志賀邸の庭先で
和装した二人が友人・知人などの話を冗談を交えながら話している。戦友
同士が日曜日に再会して片方の家に立ち寄ったかのような会話。認め合
える仕事を残してきた者同士の余裕を感じる。

一方、土方巽と唐十郎は言葉数が非常に多い緊張感溢れる対談を展開
している。観念的な話が続く。それぞれが自分の日常の気づきを相手に
投げかけている。それをお互い答えきるわけではなく、ギリギリでかわす。
当時の二人の微妙な立ち位置が想像できる対話モードである。引用に世
俗的な実例が多く登場するのが社会とのスキャンダルな関わりを大事にし
ていたアングラの境界線としてよく映えている。

永井龍男と河盛好蔵は、まるで緑茶でもすすりながら畳の部屋で話し込ん
でいるような落ち着いた会話となる。まず文士の語源について探りあい、次
にルックスについて提案しあう等、順序立ててゆっくり話を膨らませている感
じである。知識と提案に満ちたずっと聞いていたいような流れがそこに存在
する。

他にも豪華な顔ぶれがそれぞれの対話モードを残している。
青春今昔  <平野謙 × 藤枝静男>
自由と存在~戦後文学の30年~ <埴谷雄高 × 野間宏>
江戸と西洋 <石川淳 × 中村真一郎>
上海時代  <堀田善衛 × 開高健>
吉田健一の生き方~アウトサイダーの文学と酒~ 
                  <河上徹太郎 × 丸谷才一>
「髓」を描く~徳田秋声と宇野浩二 <川崎長太郎 × 水上勉>
物語りについて <中上健次 × 円地文子>

どの対話も、機知と芳醇なエピソードと発見に溢れていてその場の空気を
想像しながら読み進めていく内、僕はVTRを見たかのような気分になって
いた。最後に川崎長太郎氏が聞いたという徳田秋声の言葉を。

「ものを書いているときは、わしはちっとも芸術家じゃない。ぼんやり、何も
しないで空気を愉しんでいるとき、そのときのほうが、よっぽど自分は芸術
家だという気がする」

2009年12月31日木曜日

第18回「日々の泡立ち 真説RCサクセション」に触れて

著者:渋谷陽一(聞き手)
出版社:ロッキング・オン
価格:1200円
初版:1991年2月
サイズ:ハードカバー

筑紫哲也さんが亡くなった時、その時はまだ闘病中だった忌野清志郎の事
を真っ先に思った。(清志郎はショックだろうな・・・・)と思わずにはいられな
かった。復活ツアーを行った際、おなじくガンと闘っていた筑紫さんを舞台に
登場させ、筑紫さんが前口上を述べるという演出がなされたらしい。人から
聞いた話だ。わが町・京都でも復活公演は開催された。僕はそのことは知っ
ていたが、復活した清志郎の元気ぶりを各メディアで見て安心しきって行か
なかった。その日も筑紫さんは登場したらしい。

以前、僕の身近にもガンと闘った人がいた。その人を病院に見舞う毎日の
中で風邪をひいた僕はネガティヴな気分で目が覚め、身体のダルさからくる
憂鬱はあらゆるヤル気をそいでいった。その朝は気分が滅入る一方だった。
その時、入院しているその人のことをなぜか思い出した。治る見込みのある
風邪をひいたぐらいでこんなにネガティヴな気分になるのに、ガンが再発し、
抗がん剤を打ち、身体の痛みをこらえ、毎朝目が覚めたら病院のベッドの天
井が現れるその人の心情は想像するに堪えなかった。

清志郎のガンが再発したという報が流れた。それから僕は清志郎の朝を
想像することが多くなった。毎朝パソコンを立ち上げてヤフーのトップニュース
を見るのに少し勇気がいった。ラジオから不自然なタイミングで清志郎の曲
が流れてくることを恐れた。しばらくしてその習慣をようやく忘れそうになった
頃、TVをつけたらそこに悲報が流れた。

復活後の清志郎のメディアでの言葉に僕は戸惑った。「愛」「世界平和」「夢
を忘れずに」。最初に彼の口からその発言を聞いた時、彼特有のギャグだ
と思った。歌詞をみてもわかる通り、人一倍言葉が持つイメージに敏感な人
だったと思うし、直接的な言葉は照れもあいまってむしろ茶化す立場の人だ
と思っていた。この「日々の泡立ち」はRCサクセション20年の歴史を忌野
清志郎・仲井戸麗市、小林和生が渋谷陽一のナビゲートの下、ポツポツと
答えたインタビューである。そこでの清志郎は、一番素っ気無い。受け答え
は、「うん」「そうそう」の連発で完全に他人事である。ここには正しく不真面
目なミュージシャンが記録されていて、真剣なのかどうなのか、真意をはぐ
らかされ続ける渋谷陽一が滑稽にうつるほどだ。

後年の何もいとわないメッセージは、心からの全快を何よりも忌野清志郎
自身が強く願った道程でついに出てきた言葉ではないかと想像する。