2009年11月29日日曜日

第17回「大きな大きな船」に触れて

著者:長谷川集平
出版社:ポプラ社
価格:1260円
初版:2009年8月
サイズ:26.5cm×21.5cm

学生時分、この人ともし同じクラスになっていたら多分友達になっていた
だろうなと長谷川集平さんの作品を昔読んだ時、一方的に思った。そし
てそのとき巻末の彼の顔つきを見て余計にそう思った。

長谷川さんの作品は基本的に少年目線のものが多い。それも劣等感を
持つ少年が多い。<家族>と<友人>という子供にとって全てである人
間関係の中で、何かを見てしまったり、感じ取ってしまったりする子供の
ねじれる様を描いた作品によく出会う。
この絵本に少年はもちろん登場します。しかし少年から青年を経て、現在
父親としてふるまっている大人も、少年と同じくらい大事なキャラクターとし
て登場します。
            
二人きりの生活をはじめることになった父と息子の話。
新しい生活を迎えて、気負いや考えすぎの優しさをみせる父親。それを敏
感に感じ取り、先回りした言葉を山なりで届ける息子。男同士の無骨な優
しさの応酬がそこにある。この時、父と息子はある意味クラスメートだ。

ある日、なんてことなく始まった二人の会話。
妻であった人と母であった人の思い出を二人は話し始める。それぞれの立
場とそれぞれの年輪が、父の忘れている記憶と息子の知らない記憶を交差
させ、記憶は符号していく。

そして息子は口笛で、あるメロディを吹く。

父親にとってそのメロディは、不安と緊張と思い出をいっぺんに再生させる
メロディだった。時間を巻き戻す再生。大人の男として、社会に出、恋をし、
色々なものを失い、成長させられてきた少年の成熟した涙がその日、落ちた。

思い出の蓄積が増えれば増えるほど、五感は錆びながら過去を連れてくる
に違いない。日常に当たり前のようにあった習慣や仕草が思い出に変わっ
ていたことに気づいた時、その環境の落差に人はやるせなく涙を落とす。
この短編映画のような絵本がずっと残って、今はまだ思い出が足りない少年
が社会に出、恋をし、色々なものを失い、ずっと未来のどこかの本屋でこの
本に出会うといいなと単純に思う。