2009年4月28日火曜日

第10回「幼年 その他」に触れて

著者:福永武彦
出版社:講談社
価格:580円
初版:1969年6月12日
サイズ:函入りハードカバー

印象的な装丁の本である。昭和44年。
函の中身の表紙もご覧に入れたくて掲載しました。
ロマンティックとユーモアが同居している良い例。
まるで永遠の錯覚が続くかのような半エッセイ&
短編小説群が硬質な文体で収められている。
 
「幼年」の冒頭は、幼少期の就眠儀式から始まる。
就寝時、両方の掌を親指を外に出して汗ばむまで
固く握り締め、仰向けに寝た胸の上に置く。拳同士
は微妙な間隔を取り、左の拳は心音を聴いている。
両足は延ばしているが、右脚だけ曲げ、その足の
裏を左の膝こぞうにぴたりとつける。肝心なのは、
眠いのをそこでガマンすること。すぐに寝てしまって
は面白い夢を見られない。そのまんじりとした時間が
願望による空想やその1日の出来事を荒唐無稽に
夢想化させる。しかし実際は面白かった・美しかった・
甘かった・やさしかったというような印象のみしか記憶
していないことが多いのも事実で、再生不能の記憶
である「夢」は、前世の記憶に似ているとも言えないこと
もない。人は眠ることにより、一つの夜を眠り、一つの
朝を目覚めることの繰り返しにより、なにか最も大事な、
最も本質的な部分を次第に忘れていくのではないかと
福永武彦はそこで思っている。昭和39年の夢想。

幼年を思うことは、記憶について考えることでもある。
当然この本にはいくつもの記憶考が展開されている。
そして記憶という曖昧で不思議な世界をいいあてるか
のような各章のタイトルが素晴らしかったので列記します。

「就眠儀式」
「初めに闇」
「薄明の世界」
「墓地の眺め」
「ヴァニラの匂」
「夏」
「屋根裏部屋」
「暗黒星雲」
「夜行列車」

記憶の最深には、いつも沈黙の自分があると思っている。
平成21年の夢想。