2008年12月26日金曜日

第6回「路地裏の京都」に触れて

著者:甲斐扶佐義
出版社:道出版
価格:2940円
初版:2008年10月15日
サイズ:A4変型判

京都人がいつか見てきた情景をいつも撮ってしまうのが
甲斐扶佐義という人だ。

何冊、形にしてきたのだろう。何度、同じ写真に遭遇しただろう。
しかし、その都度、京都人は反応させられる。
何度見ても、京都人のトラウマにも似た「知ってる」空気が
写りこんでいる。やはり平常心では見ていられない。

モノクロの子どもを見ては あの日の自分を探し、
お年寄りの歩く姿を見ては 祖父・祖母が蘇り、
平日の町内風景を見ては 忘れていた出来事を思い出し、
祭りのにぎわいを見ては ほのかな緊張が再燃する。

そんな写真を撮る甲斐さんは、スケベな人だと思う。
好奇心旺盛で、人間の隙を逃さない。
「隙」は自分にとっては忘れている時間であり、
他人の「隙」は自分の心象風景に刻まれるものである。
人間に向けてシャッターを押す行為は
自分と他人の「隙」を結びつけることなのかもしれない。

京都のデジャヴを甲斐さんは今日も本能と煩悩に
まかせて撮り続けている。

2008年11月29日土曜日

第5回「大発見」に触れて

著者:辰巳ヨシヒロ
出版社:青林工藝舎
価格:1680円(税込み)
初版:2002年11月
サイズ:ソフトカバー

一人暮らしをしたことのある男性なら
辰巳ヨシヒロの描く夕景のような取り戻せない時間に
うつむき、そして、上を向きなおすであろう。

ハタチの頃、私は横浜の倒壊アパートでやさぐれ生活
を気取ることに成功していた。誰とも喋らない工場の
アルバイトを黙々とやり過ごし、帰りにスーパーで納豆
だけを買って白飯を炊く。一人で完結する・させる毎日。
そのまま口から音が発せられることなく、一日が終わる
ことはザラであった。寂しくないのが不思議だった。
それはやさぐれ生活を自分自身で肯定していたからだろう。
しかし、街に出ると不穏な先行きはむきだしになってヒリヒ
リと刺してくる。 東京というウカウカした集合体に出向いた
帰り道の電車などでは逃亡者のような気分で車窓にもたれ
窓の外を眺めるのであった。

ここに出てくる主人公たちも都会の電車で窓の向こうに
流れる線路沿いの家の明かりを見つめ続けているのだ
が、どうやら彼らはやさぐれ生活を肯定はしていないようだ。
しっかり寂しいと感じていて、自分の世界を構築してしまう。
ある者は嘘をつき、なけなしの人望を集める。
ある者は動物園の猿を恋人に見立て最後は求愛する。
ある者は出会った不思議ちゃんの存在を癒しと思い込む。
ある者はゴキブリたちに名前をつけ、愛でる・かばう。

実は私は読んでいて何度も泣きそうになっていた。
やっぱり同じ風景を自分も横浜でみていたんだと。

2008年11月4日火曜日

第4回「人生読本 友だち」に触れて

著者:河盛好蔵 ほか
出版社:河出書房新社
価格:680円(税込み)
初版:昭和54年10月15日
サイズ:ソフトカバー

古本市に行くと、いつも探してしまうのがこの「人生読本」シリーズ。

豪華な顔ぶれの執筆陣を迎えて、ワンテーマに沿った文章を編んである。
「ユーモア」「同居術」「ダンディズム」「旅」「仕事」「日記」「マンガ」など
個人的に興味深いテーマの巻などが存在する。(もちろん他にももっとある)
今回紹介させていただくのは、晩夏の古本市で買った「友だち」。

表紙をご覧いただくとわかる執筆陣のほかにも谷川俊太郎、赤塚不二夫、
串田孫一、小川国夫、小林秀雄、宮城まり子、長部日出雄、宇野千代、
三島由紀夫など総勢45名が友だちの紹介、定義、対談、思い出などを
記す。

中でも宇野千代の「親しい仲」の定義が眼にとまる。
彼女は、「親しいということと、なにもかもあけすけに見せるというの
は違う」と説く。親しき仲にも礼儀ありの「礼儀」につっこむ。
ニュアンス変わるといけないので少し引用。

~親しい仲であればあるだけ、あの佳き眺めをむげに見馴らし
  果てんことを惜しむ気持があるべきだと思ふ。その佳きもの
  を惜しむ気持が、ありのままを隠す気持、嘘吐きの頭に神宿る
  結果につながってゐる、それが礼儀だと思ふ。  
          ~中略~
  親友といふものは相手の家の借金の高まで知り、夫婦といふもの
  は妻のほくろの数まで知るのがほんたうだと思ひ込んでゐる意味
  での親しさが、一体、私たちの心にどれだけの深い愛をよび起す
  助けになるだらうか。礼儀とは、さういふ深い愛をもつた嘘吐きの
  気持である。~   原文ママ

要するに、相手の身の上をちっとも知らない「親友」というのもあるはずだ。

2008年9月30日火曜日

第3回「笑いの女神たち」に触れて

著者:浜美雪
出版社:白夜書房
価格:1890円(税込み)
初版:2008年7月15日
サイズ:ソフトカバー

ありそうでなかった舞台・テレビ界の女性エンターティナー論集。

高田文夫さんベースの専門誌「笑芸人」連載ということも理由にあるのだが、
その人選の守備範囲の広さに「待望の」という帯がふさわしい。
総勢21人のコメディエンヌがスポットライトを浴びている。
目次を開いて2度見したのが、清水ミチコ・樹木希林・原由子・江利チエミ
の4人の名前である。この4人をエンターティナーとして改めた本 は、多分
ないかもしれない。その視点を世間に再提示したこの本の意義は 大きい。
むしろこの4人を認知させるために存在する本と個人的には思って いる。

清水ミチコは、芸人かもしれないが芸能人でも文化人でもない。優れた
ライブパフォーマンスの個人芸でお金のとれるコメディエンヌだろう。
彼女はもっともっと評価されるべきエンターティナーだとずっと思っている。

樹木希林は、女優かもしれないが東京タワーや也哉子の母だけではない。
反骨とくすぐり笑いのテンポを肝にすえたコメディエンヌだろう。
頭ではわかっていたけど、書物に記されたのは嬉しい。

原由子は、サザンオールスターズかもしれないが優しい歌声や優しい顔
つき だけではない。桑田佳祐と揃う、艶とマヌケを歌うコメディエンヌだろう。
エロバカ歌唱多数。持って生まれた脱力芸。男でいえば、ミスターオクレか。

江利チエミは、歌手かもしれないがひばりと並ぶ国民的存在やまちがっても
演歌歌手では絶対ない。ジャズシンガーであり、実写版サザエさんに代表
されるオキャンで町内の人気者のようなコメディエンヌだろう。

4人の中で唯一、この世にはもういない江利チエミである。彼女の情報は
この先 もずっと更新されない。ならば、彼女が一番輝く役柄の記述を誰かに
残してほしいと思っていた。歌はもちろんだが、キャラクターとしての記録。

関係ないが、
向田邦子の自伝ドラマがあったらその役は江利チエミにやってほしい。
生きてたら。

2008年8月28日木曜日

第2回 「水に映す」に触れて


















著者:丸山健二
出版社:文藝春秋
価格:1200円
初版:1978年1月30日
サイズ:ハードカバー
                                             丸山健二の小説に出くわしたのは、何年前だったろうか。。
どこかの古本市だったように記憶している。
ストイックな印象のタイトルに惹かれ、手にとった。

「水に映す」は、十二通りの短篇小説で構成されている。
すべて一人称で書かれていて、見てはいけない他人の日記
を読んでいるようだ。丸山健二は、シビアでやや極端な思考
の人であり、他人を信用していないのかもしれない。
しかし僕は非常に読みやすいのである。それは過剰に感情
移入されたウエットな語句を極力排除しているからかもしれ
ない。いやいや伊坂幸太郎もフェイバリットに挙げている彼の
‘熱め‘に計算された文章力に身をまかせているにすぎないのか。
十二のどの話も最終的にどこか置いてけぼりにされてしまうような
結末を迎える。しかし僕はそこに心地よい寂寥感を覚える。
多感な時期の夕方、訳もなく悲しくなったあの感覚である。
それは不安な恍惚とでもいおうか。。。

痛い話(けっしてイタイ話ではない)が全体を占めている。
耳に痛いし、もちろん、心に痛い。
「青色の深い帽子」や「バス停」は人道的には最悪のやるせない
語りの話だと思うし、「雪の走者」にいたっては主人公の田舎暮らし
に失敗した状況描写を丸山健二がこれでもかというくらいに皮肉な
現実でねじ伏せる。それを裏読みし始めるとコントに思え、主人公
の投げやりな後悔にニヤついてしまった。ああ僕も嫌な人間だなぁ・・・。
まるで丸山健二が描く皮肉たっぷりの人間そのものだ。
だから丸山健二が好きなのだ。気を抜くと、その欲と見栄の世界に
足を滑らせてしまう可能性を感じているのかもしれない。
まだ全ての丸山作品を読んだわけではない。
その内、自分そっくりの主人公にブツかることが今の僕の恐怖だ。

2008年7月18日金曜日

第1回 モールス歌詞集に触れて









著者:酒井泰明
出版社:自費出版
価格:1,890円(税込み)
初版:2008年4月28日
サイズ:ハードカバー

最初に関係ないこと1つ。
巻末プロフィールを見たらモールスは、僕と同学年であった。
いつもの親近感より20代に経てきただろう不健康な夕方を想像する。

「モールス歌詞集」は、モールスという3人編成のバンドのこの10年間
の歌詞になった文章を編んである。隙がないように隙をみせるその
言葉の偶然に、そら感嘆。
「10年間以前」の習作たちを個人的に覗き見たい気持ちも起こさせた。
記憶から思いつく言葉と、見たことを記憶した言葉がそこにボソボソある。
爽快と不快の振幅が壮大なギャグのように思えてくる。
と、おかしい。楽しい。

メロディを知らない歌詞は、自分の言葉にも成り得る。
知らない歌が多かったから実験小説のように読めた。
歌詞から入学して、モールスの音を閉じたまま、
愛読書として棚から出し入れするのも僕は良いと思う。
単なるバンドの歌詞として入学するのはもったいない。