2010年1月30日土曜日

第19回「文芸誌<海>精選対談集」に触れて


著者:大岡玲・編
出版社:中央公論新社
価格:1500円
初版:2006年10月25日
サイズ:文庫

ある友人が「対談集ってのは他人の悪口ばかりだから読まない」と言って
いた。

確かにそうだ。欠席裁判が延々と続く対談集はこの世に多く存在する。し
かし僕は対談集が売っていると優先的に手にとってしまう。発言録は文字
に起こす段階でいくらでも都合よく編集できてしまうが、その日の対談のノ
リというのはしっかりと残る。僕はそれを楽しみたい。人と話すときに無意
識に発生するその場の対話モードを読み込みたい。箸休めの発言の中に
その人の素を発見したり、対談者同士の関係性を彼らの会話の方向性か
ら推理して楽しみたい。

例えば、冒頭の志賀直哉と里見弴は明治の青春について語っているが、
終始リラックスした会話が続く。若かりし日の思い出話を志賀邸の庭先で
和装した二人が友人・知人などの話を冗談を交えながら話している。戦友
同士が日曜日に再会して片方の家に立ち寄ったかのような会話。認め合
える仕事を残してきた者同士の余裕を感じる。

一方、土方巽と唐十郎は言葉数が非常に多い緊張感溢れる対談を展開
している。観念的な話が続く。それぞれが自分の日常の気づきを相手に
投げかけている。それをお互い答えきるわけではなく、ギリギリでかわす。
当時の二人の微妙な立ち位置が想像できる対話モードである。引用に世
俗的な実例が多く登場するのが社会とのスキャンダルな関わりを大事にし
ていたアングラの境界線としてよく映えている。

永井龍男と河盛好蔵は、まるで緑茶でもすすりながら畳の部屋で話し込ん
でいるような落ち着いた会話となる。まず文士の語源について探りあい、次
にルックスについて提案しあう等、順序立ててゆっくり話を膨らませている感
じである。知識と提案に満ちたずっと聞いていたいような流れがそこに存在
する。

他にも豪華な顔ぶれがそれぞれの対話モードを残している。
青春今昔  <平野謙 × 藤枝静男>
自由と存在~戦後文学の30年~ <埴谷雄高 × 野間宏>
江戸と西洋 <石川淳 × 中村真一郎>
上海時代  <堀田善衛 × 開高健>
吉田健一の生き方~アウトサイダーの文学と酒~ 
                  <河上徹太郎 × 丸谷才一>
「髓」を描く~徳田秋声と宇野浩二 <川崎長太郎 × 水上勉>
物語りについて <中上健次 × 円地文子>

どの対話も、機知と芳醇なエピソードと発見に溢れていてその場の空気を
想像しながら読み進めていく内、僕はVTRを見たかのような気分になって
いた。最後に川崎長太郎氏が聞いたという徳田秋声の言葉を。

「ものを書いているときは、わしはちっとも芸術家じゃない。ぼんやり、何も
しないで空気を愉しんでいるとき、そのときのほうが、よっぽど自分は芸術
家だという気がする」