2009年3月31日火曜日

第9回「ヤンキー文化論序説」に触れて

著者:五十嵐太郎(編)
出版社:河出書房新社
価格:1680円
初版:2009年3月
サイズ:ソフトカバー


10代のクラスの立ち位置として、
いつのまにか勉強の出来る子はイケてないことになり、
かといってダイナミズム溢れるヤンキー然とした少年も
少なくなった今、優等生ともヤンキーとも違う子。ヤンキー
がクラスにいたら存在を侵食されないように表向きは顔
をつなげておいて、勉強にマジメに取り組む子がいたら
<おとなしいグループ>とし、それとは自分は差別化する
ようなタイプの学生が結構多いんじゃないだろうか。それが
普通の学生の処世術としてある気がする。かくゆう私も
そんな風だったような気がする。


当時まだかろうじてヤンキーファッションは生き残っていた。
中学はブレザーだったのだが、それを無理矢理短ラン
にして、内側に刺繍を入れるというかなり強引な同級生
たちがいた。いわゆるリーゼントにしている者もいたが、
髪を染めている者の方が多かった。彼らは中学2年の
夏休み明けあたりからそのスタイルに移行していった。
私は当時流行っていたビーバップハイスクールの真似
にしか見えなかったのでスルーしていた。実際、やりたい
格好ではなかったが、いざやれるのか? と問われれば
そこまで思い切る勇気もなかったんだと思われる。学校
はそれなりに荒れていた。授業中はいつも誰かが廊下を
騒ぎながら歩いていたし、先生が校舎裏でヤンキー集団
に囲まれてしまったこともあったし、校舎の窓ガラスが全部
割られ職員室の中が消火器で真っ白にされたこともあった。
さすがにその時、校長はキレ、朝礼で凄みあふれる暴言を
生徒たちに吐いたが。


当時はなんとなく彼らと学校で交流はあったが、それは
今から思えば前述の処世術に過ぎなかったんだと思う。
(奔放度という意味で)多少の羨望はあったが、実際は
彼らの存在がうっとおしかった記憶がある。そんな私だった
のだが、いつもヤンキー文化に惹かれている自分がいる
のに気づく。いや、ヤンキー文化というよりヤンキーを経た
人のかつてのヤンキー度合にとても関心を持っている。
なぜだろうと思う。元ヤンの人たちは、過去を実は勲章に
している。その勲章の等級を見極めたいのだろうか?
単純に、<修羅>にどこかで憧れているのかもしれないな。
なぜか元ヤンの現在には全く興味が湧かないのであるから。