2009年8月27日木曜日

第14回「ある私小説家の憂鬱」に触れて

著者:尾崎一雄
出版社:新潮社
価格:800円
初版:昭和45年10月10日
サイズ:ハードカバー

「私小説」と改めて謳う小説は最近少ない。内面を描き出す小説の殆どが
ある種、私小説といえてしまうこともあるのだと思うが、それを自ら名乗る
作家はもっと少ないような気がする。この本が発売された昭和40年代は
私小説という言い草がまだ通用する時代だったのだろう。カテゴライズの
新しい区分けは売り方の一材料としての副産物だと思われるが、この私
小説という区分けも、ジャズの細かいジャンル分けのようなものに近い気
がする。(ニュージャズとかアシッドジャズとか)

この本は尾崎一雄のエッセイ、いや<随筆>である。私小説作家の随筆
は、実名や経験談から構成される私小説の裏話やその日常を書き連ねて
いるので、それはいわば今のブログに近い。登場する出来事としては、本
当に何の変哲もないのんびりした昭和の日常である。その読涼感は、おじ
いさんと縁側で話したように心地よい。しかし幾つかの章では、いまとなって
はその時代の特殊性をいやがおうにも感じさせられる箇所がある。発売当
時の昭和30年~40年代に尾崎は60代。その日常には、いまとなっては
遥か遠い教科書上の出来事が随所に登場する。

「槍と薙刀」は、太平洋戦争時に家人を守る武器として家に保管していた槍
や銃が、戦後になりその所持に警察の許可が改めて必要となりその許可
申請をしにいくという話である。そしてその申請案内はその年をもって配布
終了するという時代。まさしく戦後が本格化していく出来事のひとつである。
尾崎の祖母は懐刀を持っていて、祖父とケンカになるたびに「わたくしも武士
の娘」と啖呵を切り、その刀を前帯に挟み込んだそうな。明治三十何年の尾
崎6歳前後の記憶。。その時代の3代前にはまだ武士が現実にいたという
のがリアルである。

「先生を殴ろうとした話」では、2・26事件が日常の記憶として登場する。
尾崎はそのとき、谷崎某氏という人物の訪問を受けた。「革命が起こった!」
と絶叫興奮しまくしたてる氏にそのことを口止めされ、ただただ戸惑う。
その日は他にも凶兆ともいうべき事件も新聞をにぎわせたが、口止めされて
いるその事件に比べればものの数ではない。そしてその氏からある頼まれ
事を受ける。まだ戒厳令の布かれた現場近くの出版社に原稿料を一緒に
取りに行ってほしいというものであった。2人で作戦を決行するのだが、後日
談としてその谷崎氏が尾崎はそのときブルっていたと言ったものだから胸倉
を掴んだという展開である。

もちろん現在にも通じる日常も登場するが、はっきりと見える線で歴史的
出来事とつながっている事が驚異だ。
僕らの書くブログは、何を残せるのだろうか?