2009年10月2日金曜日

第15回「たばこ屋の娘」に触れて

著者:松本正彦
出版社:青林工藝舎
価格:1365円
初版:2009年9月20日
サイズ:ソフトカバー

今、たばこ屋に娘はいない。たばこ屋も少ない。30歳まで
僕もタバコを吸っていたが、たばこ屋で買った記憶がない。

この作品集は、主に昭和40年代に描かれた作品であり、
松本正彦さんはさいとう・たかを、辰巳ヨシヒロと劇画創成期
を構成した<駒画>作家である。(駒画とは、松本さんの描く
叙情的漫画の呼称でご本人の考案らしい)

結婚適齢期の男女の物語が私小説のように描かれている。
踏み切り沿いのアパート。畳にゴロ寝。2槽式洗濯機。穴の
あいた押入れ。雨漏り。水しか出ない台所。安酒屋。夕暮れ。
そんな生活レベルを舞台にした窓辺に立ち尽くすような話が
ここには根付く。作者曰く「競輪場に行った人が帰りに買って
電車の中で読んで、家に帰る前に捨てるような雑誌」に連載
されていたからか、登場人物は、純朴でささやかな若者に対
して中年は皆、荒涼としているような感がある。そのギャップ
の縮図がどうしようもなくて泣けてくる。

表題作「たばこ屋の娘」は、ご多分にもれず純朴な青年が
たばこ屋の娘に惚れる話である。もちろん最期はせつない。
娘が男をその気にさせる、一方通行ではない、片道切符の
ような恋だ。罪な娘だ。たばこ屋の娘。たばこを街角で人から
人へ売るという行為は、年齢確認も厳しく、健康被害もおおい
に謳われる今となってはなんとも怪しい共犯関係を作り出すよ
うな行為みたいになってしまった。たばこ屋のあの個人的な
雰囲気の窓口。おまけにそれが若い娘などときたら闇売買に
も似た淫靡さがある。それがまだかろうじて日常だった時代。
                                
たばこ屋の話は他にも収録されていて「たばこ屋のあった横丁」
は、主人公がたばこ屋の娘に傘を借りる事になったのだが、郷
里から出てきた母親に傘の持ち主を恋人と勘違いされ、その娘
に1日彼女として振舞ってもらうという話。ラストは、人が何かを
失うというのは実に一瞬の事なのだということを教えてくれる。
  
それから印象的だったのは「遠いお祭り」「花の新宿」の2本。
せつない恋愛たちの話。人間が結びつきを求める姿はこんな
にいじらしいのかと思う。好かれたい。嫌われたくない。一人に
なりたくない。この人でいい。そんな保身と表裏一体の関係維持
に努める男女。惚れられている側はいつも自由奔放で、惚れて
いる側はいつも健気だ。

「コーヒーの味」という一篇も忘れがたい。この話は清涼剤のよう
な後味。<奔放と健気>の構図は基本にあるが、ひとつのキー
ワードによってその構図がポジティブなものに感じさせられる。
こんな繋がりに憧れる。
  
他にもコンドームを訪問販売する婚活女子「ハッピーちゃん」など
社会生活での男女の出会いの稀少さを描いている。そんな状況に
今よりずっと多かったであろうおせっかいを焼く周りの人たちがたく
さん登場する。実際の場面でそんなケースがあったら、面倒臭いと
スルーする人が多いのかもしれない。この漫画ではそんなおせっか
いを真正面から受け止めている。おせっかいとは、よかれと思って
行動する人と対峙するので面倒くさいものだ。しかし人情とは面倒
なことを真正面から受け止めることであろう。ここには、<世間体>
が上手く機能している時代が描かれているように思える。